練習を楽しむ

今日長女はプール教室だった。(いつもは長男も一緒だけど、今日は先日公園で転んで顔を怪我をしてそれがまだ治っていないので念のため休むことにした。)

長女は休憩中にも自分で練習をする。

今日は潜って出てきた時にパッと口を開ける練習だったのだけど、タイミングが合わないのか、どうも自分のできに納得がいってないようだった。

長女は自分の順番がまわってくるまでの待ち時間に、何度も潜ってはパッを繰り返して練習をしていた。

練習後、少しだけ自由時間があることを告げられると、嬉しそうな顔をしてプールに飛び込んで行った。そして、けのびを繰り返す。何度も何度も。嬉しそうな顔をして。

その姿を見て(ある高校の同級生を思い出したのだけど、まあそれは置いていて)嬉しかった。

普段から、なんでもすぐにできるようになる事よりも、たくさん練習をしてできるようになる事がすごいんだよ、と言っている。

それもあって、自分から練習をしているのも嬉しかったし、それをとても楽しそうにやっているのも嬉しかった。

練習を楽しめるというのは、才能の一つだと思う。練習に限らず、どんなことでもやると決めたらそれを楽しめるというのはすごく大きい。

もちろん今は本当に楽しいからやっているのだろうけど、どんなことでも楽しいところを見つけて楽しめる、そんな力を身につけて欲しいな。

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重松清さんの講演「はやくしなさい!」と仲直り

重松清さんの講演を聞いてきた。


重松清さんの本との出会いは、もう10年くらい前になるだろうか、彼女(今の妻)を車で家まで送ってその帰りに何気なくつけたラジオで定年ゴジラ (講談社文庫)の朗読をきいて、その続きが気になって買って読んだのが最初。

その後、立ち寄った本屋さんで見つけては買って読んでいた。いじめや自殺について扱った

などの重い作品も好きだけど、読み続けているのは

という作品に出会ったから。

基本的には家族や友達の話が多い。どこにでもありそうで、いつか自分も似た状況になりそう、苦しいけどがんばっていて、万事解決とはいかないけど光は見える、そんな作品が多いように思う。元気がないときや生きている意味を見失ってしまったとき、あるいは勘違いしていそうなときに読むと、しみ込むように体に入ってきて、またがんばろう、という気にさせてくれる。

実はこのラジオでの出会いまでは、あまり小説を読むことは無かった。全く読まないということは無いけど、日本の作家で、作家名で探して読む、ということはまず無かった。実は今でも重松清さんしかない。もちろん読むきっかけがないというだけで、好きじゃないから読んでいないということではないので、お勧めの作家さんがいたら教えてくれると嬉しかったりする。

と、本題に入る前までが長くなってしまったが、講演の内容はとてもよかった。
内容はこんな感じ。(テープからおこしたわけでもないし、一日置いて勝手な自分の思いも入っていると思うので、これが全てではないし多少内容も変わってしまっているかもしれないけど、その辺は割り引いて読んでください。)

・多様性が認められる時代になった
 ・それにより選択肢が増えた
 ・迷うことが多くなった。エアコン一つでも迷う、そして直前で判断を変えたり、買った後も後悔したり。
 ・子どもたちも迷う
  ・ファミレスのメニュー選びでも迷う
  ・最近の親が使う一番多い言葉は「はやくしなさい」(昔は「普通は・・」)
  ・「はやく」と言わないであげてほしい
  ・「はやく」と言われると選択することをやめて親などに任せてしまう
   「なんでもいい」「お母さん決めて」
  ・自分で選択していないものは選択した人の責任にできる、したくなる
  ・人生の選択についても同様のことがいえる

・子どもたちが小さなけんかをする機会が減った
 ・一人っ子が増えた
 ・一人っ子でも意識的に小さな子同士で一緒にいられる機会をつくってあげて欲しい
 ・けんかをすると仲直りをする、この仲直りをするという経験が減ってしまった
 ・とても仲のいい友達がたった一回のけんかから傷害に発展することも
 ・仲直りができないのでけんかができない
  ・友達に本音でぶつかれない
  ・本当の友達ができず、友達がたくさんいても寂しい
  ・友達といると気を使う、一人になると気が抜けて楽になる
 ・小さい頃からけんかを経験しいろんな仲直りのパターンを経験させてほしい
 ・自分の本はいろんな「仲直り」を書いている

その他、
 ・多様性が認められるようになったが、悪気はないのだけど偏見はある
  「両親が働いていて家に帰ってくると誰もいないのはかわいそう」
  「一人っ子はわがまま」
  ・これらは想像力の欠如。想像力は重要。
 ・本もたくさん読んでほしい
  ・古今東西のいろんな人が同じ悩みをもっていると思うと少し気が楽になる
という話もあった。

おおまかにいうとこんな感じの内容だったと思う。

自分にとってはとても有意義な内容だった。本や講演は読んだり聞いたりしても時間が経つとだんだんと忘れてしまうのだけど、今回のキーワードは勝手に「多様性」「はやくしなさい」と「仲直り」3つだと思っていて、この2つの言葉だったら忘れないでいられそう。(ちなみに重松清さん自身は「多様性」という言葉は一度も使っていない。)このそれぞれのキーワードを思い浮かべればいろいろと思い出したり、頭の中で発展させることができそう。

ちなみに講演会を聞いている間の約2時間、妻は近くの公園で子どもたち4人をみてくれていた。本当は一緒に聞きたかったのだけど、子供はまずそうな雰囲気だったので私だけが聞くことになった。慌ただしい日常の中、さらに私の仕事が忙しいので、なかなか妻とゆっくり話す機会が持てない。でも、今日はこの講演の様子や内容を伝えてあげよう。

あらたまって面と向かっては言いづらいのだけど、いつもありがとう。感謝してるよ。

お手伝いとおこずかいとおこずかい帳

内田樹さんによると、あまり小さい頃からお金を持たせて買い物などをさせない方がいい、というような内容が書いてあった。

つまり買い物を経験することで、小さな自分でも大人と同様に扱われ「法外な全能感」を感じ、消費するものとして立ち回れば、自分自身そのものとしての価値を問われることなく優位にたてると感じる。

そうすると、「子どもたちは就学以前に消費主体としてすでに自己を確立」してしまうため、「学校でも子どもたちは、『教育サービスの買い手』というポジションを無意識のうちに先取しようと」する。

その結果、「ひらがなを習うことに、どんな意味があるんですか?」という質問がでるようになり、この、これが何の役に立つのかという問いは教育に関しては無意味であるとしている。なぜなら、おおまかにいうと、その問いの答えをきいて、納得できなければ勉強しないということであれば、今の自分の価値判断でしか判断できず、自分を大きく制限するから、とまぁ、第一章に関してはだいたいこんな内容だったと思う。

ちょっとややこしい話になってしまったけど、なるほどなぁ、と思うところはある。とはいってもやはり金銭感覚を持つことも重要だと思う。それにこの本を読んだ時には既に何度も買い物は経験済みだった。長女は4月から6歳になる。今年から年長、来年ははやくも小学生だ。

長女は1年くらい前から習い事をしているのだけど、終わった後に100円を渡して、駄菓子屋で100円分自分で好きなものを選んで自分で買う、ということをやっている。10円、20円、30円くらいのものがほとんどなので意外にすぐに慣れて、私たちは駄菓子屋の外で待っていて、長女は長男を連れて長男の分も含めて勝手に買ってくるようになった。

そして最近お手伝いをしたときにおこずかいをあげるようにしていたら、お手伝い=おこずかい=お金、のようになってしまって何か考えなきゃな、と思っていた。

そして内田樹さん的にいうと「労働主体」としての自己も確立してもらいたいという意味からすると、お手伝い=おこずかいというのはやっぱりまずくて、お手伝い=家族の一員として当然のこと、となって欲しいとは思う。

そんなこんなでいろいろ妥協して出てきた結果がこれ。

おこずかい帳

おこずかい帳

まず、手伝いをするのは前提。それが普通にちゃんとされていた場合は週に1回決まった日に決まった金額をおこずかいとしてあげる。で、必ずおこずかい帳をつける。入金はもちろんだけど、出金も。ちゃんとお手伝いができていなかったり、おこずかい帳がちゃんとつけられていなかったら、その週はおこずかい無し。

金額は今のところ、年中の長女は週200円、年少の長男は週100円。ちょっと多いかな、とも思ったけど、ほとんどは貯金箱に直行しているから、まぁ、いいかな、と。

こんな感じでスタートしたのだけど、いつまで続くだろう。これを続けるのは当面親のサポートも必要だから。この方法も確信があるわけじゃないから、もっといろいろ考えていい方向に変えていきたいな、とは思ってる。

見守るということ・・・生みの苦しみ


たまたま、ずっと前に買った本「加速学習法」を手にとって、なんとなくもう一度読み直していたらちょっと気になった逸話があった。

 ひとりの少女が父親と農場を訪れました。親鳥が温めていた卵の、1個だけを残してすべての卵から雛がかえりました。

 少女は、「私が助けてあげるわ」と言って、やさしく卵を割って殻を開けました。その夜、アヒルの雛は死んでしまいました。生まれるために苦しむことは、欠かすことのできない創造のプロセスです。努力抜きには事は運ばないのです。

長女と長男 子どもといると、なんだかもどかしくて手をかしてあげたくなることが多々ある。がんばっているのがよく分かって、苦しんでいる時には特にそう思う。くつを一生懸命はこうとしているときや、パンツを自分ではこうとしているとき、パズルを完成させようとしているとき、ふと手をかしてあげたくなる。

冷静に考えれば、今は手をかすべきじゃない、自分で頑張らせてあげようと分かるのだけど、実際にはついつい「こっちじゃない」と声をかけたくなる。

そんなときにはこの逸話を思い出して、見守ってあげようと思う。自分で卵を割ってでてきたときでないと、本当には自分の力、自信にはならないのかもしれない。前にこのブログで書いたかもしれないけど、私たちの最大の目標は子供たちが「自分に自信のある子供」に育ってくれることだ。せっかくの機会を、見守るつらさから逃げるために無駄にしてしまわないようにしたい。

要領よくいきる

長女と長男私は「要領がいい」ということを「物事の本質をすばやくつかみ、それを中心に付随する情報をとらえ、考え、理解する能力」だと思う。(と言葉にしてはみたものの、微妙に頭の中にあるイメージとは異なっているので、またよりよい表現が見つかったらアップデートしたい。)

goo辞書で調べると

要領がいい
(1)物事をうまく処理する方法を心得ている。手際がいい。
(2)巧みに立ち回るすべを心得ている。
とある。

ここで言っているのは(1)の意味に近いかもしれない。

要領よくいきるということは重要な能力の一つだと思う。生きていく上で要領がいいのと悪いのとでは大きな違いがでると思う。

勉強をするにしても、この能力があると覚えもはやいし、そこから発展した考え方もできるようになる。人間関係でも、どこに問題があるのか、何が問題なのかを素早く把握し、その影響をトータルのイメージとしてとらえることができる。仕事でも、枝葉にとらわれずに常に本質を頭にいれて考えることができる。

子供達には、ぜひこの能力を身につけてほしいと思う。そのための教育をしていきたいと思った。