練習を楽しむ

今日長女はプール教室だった。(いつもは長男も一緒だけど、今日は先日公園で転んで顔を怪我をしてそれがまだ治っていないので念のため休むことにした。)

長女は休憩中にも自分で練習をする。

今日は潜って出てきた時にパッと口を開ける練習だったのだけど、タイミングが合わないのか、どうも自分のできに納得がいってないようだった。

長女は自分の順番がまわってくるまでの待ち時間に、何度も潜ってはパッを繰り返して練習をしていた。

練習後、少しだけ自由時間があることを告げられると、嬉しそうな顔をしてプールに飛び込んで行った。そして、けのびを繰り返す。何度も何度も。嬉しそうな顔をして。

その姿を見て(ある高校の同級生を思い出したのだけど、まあそれは置いていて)嬉しかった。

普段から、なんでもすぐにできるようになる事よりも、たくさん練習をしてできるようになる事がすごいんだよ、と言っている。

それもあって、自分から練習をしているのも嬉しかったし、それをとても楽しそうにやっているのも嬉しかった。

練習を楽しめるというのは、才能の一つだと思う。練習に限らず、どんなことでもやると決めたらそれを楽しめるというのはすごく大きい。

もちろん今は本当に楽しいからやっているのだろうけど、どんなことでも楽しいところを見つけて楽しめる、そんな力を身につけて欲しいな。

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5人目の覚悟

妻から最初の妊娠を知らされた時、それが最初に覚悟を決めた時だと思う。その時の子は生まれないまま天に帰ってしまった。それを知った時、仕事場から妻がいる実家までいろいろ考えながら歩いて帰った。それが次に覚悟を決めた時だと思う。

長女は徹夜明けの早朝に生まれた。喜びで興奮していたその朝、家に戻って広いベッドで一人で寝ている時、自分の人生の目的が変わっていることに気付いた。長男の妊娠を知った時、生まれた時は自然に受け入れられた。ほとんど不安はなく喜びだけだった。

そして双子の時。最初に双子かもしれないと妻にきかされたとき、なんだかとても嬉しかった。でもそれからいろいろ調べていくうちに不安が大きくなっていった。今思えば本当の意味で覚悟をしたのはその時だったかもしれない。

うちの双子はMM双胎という双子の中でも1%もないリスクの高いタイプだと言われ(最終的にはよりリスクの低いMD双胎だった)いろいろ考えた。まず正常に育つか分からない。正常に育っても正常に生まれてくるか分からない。正常に生まれてきても後障害の発生率も高い。医者にまで堕胎することを進められた。今思えばその時が初めて本当の意味で覚悟をしたのかもしれない。どんな子が自分たちのもとにきても愛情をこめて育てようと誓った。当たり前のことなんだけど、その当たり前のことを生まれてくる前にきちんと確認しておきたかった。

そして5人目。今回は双子ではない。それでもやっぱり覚悟しなくてはいけないことは同じだと思う。どんな子が生まれてきても愛し育てていく覚悟。もちろん一人目や二人目の時にしていた何となくの覚悟はしていた。でも、仕事の忙しさや(ここのところの仕事の忙しさは尋常じゃない)妻の酷いつわりもあって日々の普通の生活がとても大変になり、それらに時間をとられて、ゆっくりとしっかりと考える時間がなかなかとれないでいた。

そしてその覚悟をするために、この文章を書いておきたかった。今、やっぱりまだ何となく、かもしれないけどもう少しだけ深い覚悟をできたと思う。まだまだ私は想像力が足りないのかもしれない。これからお腹が少しずつ大きくなってやっと自覚できてくるのかもしれない。それでも一旦は気持ちの整理をしておきたかった。

そしておそらく妻は自分自身の体が無事ではいられないかもしれないという覚悟も必要だったと思う。5人目だからといって特段リスクが高くなる訳ではないと思うけど、どんな場合にでも万が一ということはある。

もう一つ、お金の問題。4人でも既に限界を超えていた。自分の両親が自分を育ててくれたようには子どもたちにはしてあげられないだろうと思う。このままだと大学も自分たちの力で何とかしてもらうしかない、という状況になりそうだ。それでも、生まれてきただけで、存在しただけで、兄弟姉妹達と一緒に生きただけで、それだけでも生まれてこないよりはよかったんだ、と思ってもらえないかな。それは親のエゴかな。

もちろんがんばるよ。みんなで旅行にも行かれるように、人数にあった家に住めるように、やりたい勉強、体験をできるように、全力でがんばるつもりだ。そしてそれは絶対に花開くと思っている。

さて、がんばろ。楽しみながら。

長女、幼稚園最後の運動会。長男、二度目の運動会。

昨日は長女にとって幼稚園で最後の運動会だった。とにかく楽しんで欲しいな、と思っていた。

長女は終始これ以上ないというくらいの笑顔だった。

長女が出場したのは、主に障害物競走とダンスとクラス対抗リレー。

写真は障害物競走のスタート前に名前をよばれてガチガチになりながらもずっと笑顔の長女。走る前も走っている最中もゴールをした後も、自分の体だけではこの気持ちを表現できないとでもいうかのように顔も体もはじけていた。

ダンスでも(きっとそんなことは考えていないだろうけど)これで最後の幼稚園の運動会、後悔しないようにとでもいうように、これでもかというくらいに体を楽しそうに動かしていた。

リレーでは自分自身も思う存分走れたしチームとしても勝てたことで大喜びだった。

クラス対抗の親の綱引きも3年間で初めて勝ててとても嬉しかったようだ。(長女はいろいろとよく覚えていて、過去2年間負けてたこともはっきり覚えているのだ。)

長女がもう一つ楽しみにしていたのが、未就学児のかけっこ。ここでゴールした時にプレゼントを渡す係になっていて、妹たちに渡すのを楽しみにしていたのだ。これも無事に渡すことができた。

過去2年はこられなかったばーばも来られたし、お昼ご飯も一番中のいい子と一緒に食べられたし、長女にとってとてもいい運動会になったと思う。

 

長男はこういう行事はあまり得意ではないのかもしれない。特にみんなの前でダンスをしたりするのは。それでも一年前はほとんど参加していなかったのに比べるとしっかり踊っていたし声もだしていたようだ。さみしがりやの長男、来年は長女も卒園、妹たちはまだ入園しないので初めて一人になる。長男の気持ちを考えるととても心配になるし、つらい気持ちが伝わってくるけど、どんな様子をみせるのか、どんな成長をみせるのか、楽しみでもある。

長男はまだ勝ち負けを意識していないのか、かけっこではとにかく走れただけで楽しそうだった。3月生まれなので他のこよりも体が小さく、特にこの年齢では4月に生まれた子などと比較するとだいぶ差がある。それでも運良く?前の子が転んでしまって前にでることができた。来年はもうちょっと走るコツについて教えてあげよう。

 

あっという間に時が過ぎていく。一歩一歩成長していく姿は嬉しくもあり寂しくもあり。たった一日前のことだけど、思い出すと、もう胸が苦しくなるような思い出になっている。

毎日が大切な思い出になるような日々を送っている幸せを忘れないように一日一日を大切にしたいな、とあらためて思った。

 

 

久しぶりのアンパンマンミュージアム

久しぶりにアンパンマンミュージアムへ言ってきた。最後に言ったのは双子達が生まれたばかりの時に、長女と長男二人と三人でいったときだと思う。

長女は小さい頃からアンパンマンが大好きだった。それでも年齢がいくごとにアンパンマンが好きなのはちょっと恥ずかしい、と思うようになったようだ。個人的には大人の私でもアンパンマンは好きだし、ずっと好きでいて欲しいと思ってる。

ちょっと話がそれるけど私がアンパンマンを始めてきちんと認識したのは代ゼミの「西谷昇二」先生の講義でアンパンマンの歌をきいたのが最初だった。その歌詞にどれほど力づけられたことか。その後、子ども達がきくいろんなアンパンマンの歌でも元気づけられたこともたくさんある。

もし自身をなくして くじけそうになったら いいことだけ いいことだけ 思い出せ

(アンパンマンたいそう)とか。

そんなわけでアンパンマンは好きだし、子どもたちがアンパンマンを好きということも嬉しい。

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子ども手当てがあっても控除がなくなることで年間18万円の負担増

[アップデート:住民税の扶養控除の金額の計算が間違っていたので修正、それにともないタイトルも年間20万円近くの負担増=>年間18万円の負担増に変更(2012/3/15)]

子ども手当てについて計算してみた。うちの場合は6歳以下が4人なので非常に厳しい状況になってる。ここまで子どもが多い家庭じゃなくても、おそらく思っている以上に子ども手当ての恩恵は少ないんじゃないかと思う。

子ども手当てができたことで所得税の0歳から15歳まで扶養控除が無くなった。来年からは住民税の扶養控除も無くなる。するとどうなるか計算してみた。

所得税は源泉徴収が既に月額1万5千円増えた。来年住民税の控除がなくなると年13万超、月にすると1万1千円の増税。これをベースに計算する国民健康保険料も年間約13万円上がる。月約1万1千円。

合計月に3万7千円の負担増。一方子ども手当ては児童手当と比べて、うちの場合現状の一人1万3千円支給で2万2千円の収入増。

[アップデート:表を追加(2012/3/15)]

年間 月額
所得税の扶養控除廃止による負担増 -180,000 -15,000
住民税の扶養控除廃止による負担増 -132,000 -11,000
住民税の増加に伴う健康保険の負担増 -132,000 -11,000
負担増合計 -444,000 -37,000
子ども手当による収入増 264,000 22,000
差し引き -180,000 -15,000

つまり子ども手当てになることによって月1万5千円、年間にすると18万円の負担増ということ。

約束通り一人2万6千円にするか、それは反対する人が多いだろうから、子ども手当てを廃止して扶養控除を戻してほしい。

子どもがたくさんで子ども手当てで潤っていいね、って言われることがあるけど実際には約20万円の負担増です。かんべんしてほしい…。

日本ってほんとに子どもや子育てに冷たい国だなとつくづく思う。

実際の子ども手当てによる恩恵を計算できるウェブページつくろうかな、なんて思ったりして。でも実際の住民税や健康保険料の計算方法は自治体によって違う。しかも、うちは国民健康保険だけど世の中的には社会保険の方が多いだろうし、そうなるとまた計算も違ってくるだろうから若干面倒かも。そのあたりの式はつくりますよ、という人がいたらつくるのもありかな。

とは言ってもこの勢いなら子ども手当ては廃止になりそうだから、いらないのかな。子ども手当てを廃止にするなら忘れずに扶養控除を復活してね。子ども手当ては何もしなければ自動ストップだけど扶養控除は国会で決めなきゃ復活しないのが恐ろしい。

5歳長女、バルーンアートを上手に作る

バルーンの犬をつくる長女

先日バルーンアートが割れてしまったので作ることにしたのだけど、その時に長女に教える予定と書いた。ちなみに長女は5歳。4月で6歳になる。そして教えてみたら、なんと意外に簡単に作ってしまった。大人だとどうしても風船が割れてしまいそうで遠慮気味になるのだけど、そのあたり長女は思い切ってスパスパやっていくのがいいのか、上手にやる。

風船に空気を入れるところから、縛るところ、そして実際に作るところまで全部自分でやってしまう。長男や双子達も風船が大好きだからお姉ちゃんにつくってとねだる。それも嬉しくてどんどん作る。作ったものは貸してはあげるけどやっぱり愛着があるようで自分のものだとは思っているようだ。

長女がつくった動物達

最初はDVDの通りに作っていたけど、すぐにオリジナルを作り始めた。作った犬のしっぽにはまるように輪を作って、散歩用のリードも作った。

結果的にDVD付きのを買ったのは正解だった。というのも、実際に作るときには、えっ、こんなことしたら割れちゃうよ、ということも多いのだけど実際の映像でみると思い切ってやってみる気になる。最初は怖いけど何度かやるとコツが分かって、なんで割れそうって思ってたのかが不思議なくらいになるから不思議だ。


しかも意外にバルーンは高い。バルーンにも色々あるようでQualatexっていうのが有名で作りやすいらしいのだけど、これが100本で1500円くらいもする。なのでDVDがついてこのQualatexのバルーン50本入って1800円というのは実は良心的なんだなと思った。

ただ既に飽きてきているのが残念。とはいっても親があまり積極的に手を貸していないというのも大きいだろうな。たぶん誘ったら喜んでやる。今はまだこっちからいろんな提案をしてあげるのがいいんだろうな。

「小さな命が呼ぶとき」という映画をみた

久しぶりに映画をみた。


「小さな命が呼ぶとき」

さすがに映画館に行くことはなかなかできないので、iTunesでレンタルした。事実に基づいた映画で、自分の子供たちが平均寿命9歳の病に冒されている父親や家族のお話。

自分も似た年の子がいるだけに見ていて苦しかったが、とてもいい映画だった。自分だったら子供たちのためにあそこまでできるだろうか?おそらくできることは何でもすると思う。でも、子供たちと一緒にいられる限られた時間を、子供たちを救うために離れるという決断をできるだろうか。

当たり前だと思っていることが当たり前ではないと感じられる。

仕事も自宅ですることが多く、子供たちと長い時間一緒にいられる自分は幸せだ。にも関わらずまだまだ自分の力を引き出しきっていないと思う。もっともっとがんばらなくちゃ。もっと長い時間、ということじゃなくてもっと効率良く。

全然違う話ではあるけど、薬つながりということで・・・片頭痛の予防薬ミグシスを飲むようになってから、それまで週に3回くらいあった酷い片頭痛が(その他の頭痛はときどきあるけど)ピタリと無くなった。頭痛持ちじゃない人には分からないかもしれないけど、この薬で人生が変わった。想像力が足りなくて、今まで薬があることが当たり前だったけど、薬をつくってる方やつくろうと研究している方に感謝したいな、と思った。

子どもたちに見せたいもの、父からもらったもの

2年がかりの大きな仕事が、一応昨日で終わった。

仕事といっても普段の仕事とは関係ない内容の無報酬のボランティアみたいなもの。まだ、引き継ぎもあるし、引き継いでもすぐに次の人たちに丸投げしてしまうのは申し訳ないので、おそらく8月ころまではなんだかんだ手伝っていくことになるんだろうとは思うけど、形としては一応区切りがついた。

とっても大変だった。
土日を使うことが多い仕事なので、子供たちとの時間を犠牲にもしてきたし、そんな風にがんばってきても、みんなのためによかれと思って無報酬でやっているにも関わらず、いろんな人からの心無い批判、もっともな批判を受けることもあり、モチベーションを維持するのも大変だった。

それでも、なんとか自分なりにできることはやったと思うし、2年目を一緒にがんばった仲間は本当に素晴らしい仕事をしたと胸を張れる。

もちろんみんなのため、というのもあるけど、もちろん子供たちのためにやったというのもある。自分たちがやらなければおそらく全く無かっただろう地域の交流も増えたし、お祭りを一から生み出したりもした。

引き継ぐ人、続けていく人が大変、という批判もあったけど、やっぱり人と人との交流って大切だと思うし、大変なことをするからこそできるもの、得るものも多くあると思う。そう思っている人が少なくないということも知ったし、今年もそういう人たちが手伝ってくれると信じているし、私も全力でサポートするつもりだ。

5年後、10年後にやっぱりあのときやってよかったな、と思える状態になっていればいいな。そして、そう思えるようにサポートしていかなきゃな。

もう一つ副産物がある。この一年子供たちは私が多くの人の前で話をしたり、説明をしたり、批判をされたり、提案をしていく姿を見てきた。実はこういう姿を見せたい、というのもあった。
もちろんパパすごい、と思ってもらうためじゃない。そういう姿を間近に見ていると、きっとそれが当たり前のように感じられるようになって、人のために自分ができることをやること、多くの人の前で話をすること、などが自然のことのように感じられるようになってくれるといいな、と思ったから。
双子達はまだ1歳半だから全然分からないだろうけど、きっと長女や長男はなにか得たものがあったんじゃないかと思ってる。

実は私の父がそうだった。私の父も多くの人の前で話をする場面に、私たちが小さい頃から連れていってくれていた。そのころは面倒だな、とか行かなきゃいけないのかな、と思うことがある一方、ちょっと誇りに感じたりもしていたと思う。きっとそういう経験をしているからこそ、今回みたいな時に手をあげたのだと思う。

別にそうすること、そうできることが必ずしもいいことだとは思わないけど、そういう場面になって必要だ、と思ったときに手を上げるという選択肢が自分の中にある状態になればいいな、とは思う。

この話とは全く別の話だけど、そんな父も今では車で1時間程度の距離にいながら会えない関係になってしまっている。それどころか母や弟達、つまりは自分の子供たち、たぶん私もその中に含まれるけど・・を何とか破滅させようとがんばっているようだ。父は長女が2歳の姿しか見たことがない。長男は生まれたばかりの姿が最後だったと思う。双子達については存在すら知らないだろう。
やっぱり寂しくて残念だけど、死ぬまで会えないのかもしれない。一度手紙を送ったこともあるけど反応はなかった。それでももしかしたら、きっといつか・・・という希望は心のどこかに残っている。

(すみません、バルーンの話はまたこの次、ということで)

やりたいことがたくさん

やりたいことがいっぱいある。
どれも大変そうだけど楽しそう。
そしてそのどれもが仕事という状況、本当に幸せなことだなと思う。
しかも、ほとんどは妻や子どもたちがいる家でできる。

問題はやることが多すぎるということと、やる時間がないということと、どれも急いでやらないといけないということ。
自分の管理不足ではあるんだけど、このくらいの仕事はとっていかないと生活を維持できないし・・・。

ただ、まだまだ集中していない無駄な時間もある。その時間を集中する時間に変えられば決して無理な量じゃないんだよな。

そろそろ子どもたちの迎えの時間だ。今朝は送りのときにちょっとしたことから長女が不機嫌そうだった。どの位置でバイバイするか、というちょっとしたことなんだけど、長女にとっても長男にとっても大事なことで、それぞれの希望の位置が違うから困る。今朝は長男がなんとなく不安定だったので長男の希望の位置にしたのだ。

二人とも元気に帰ってくるかな。長女、金曜日は絵本を借りられる日、どんな絵本を選んでくるかな。

いないいないばぁ

双子達が「にんに、にんに」といいながらやってきた。たぶん「しんじ」っていいたいのだと思う。時々妻の真似をしていう。仕事場のイスの脇の狭いところに二人で入り込んで、いないいないばーを数回して帰っていった。

さ、午後もがんばろう。

引っ込み思案な「幼稚園にいる長男」、と自分

幼稚園で芋掘り、幼稚園の顔

いつか書きたいな、と思っていたことがある。それは長男のこと。長男は家では楽しそうに笑い、姉や妹達と楽しそうに遊び、時には強気になってけんかもしているけれど、幼稚園ではおとなしい。友達をつくるのが苦手なようだ。どこにいっても10分もすると新しい友達をつくってしまう長女とは大違い。

幼稚園で買う写真はしかめっ面のものやぎこちない笑顔のものがほとんど。「幼稚園で外で遊ぶときは一人で遊ぶんだ」とか「今日も一人で遊んだ」という話をきくと胸が苦しい。

心配・・・長男の気持ちがよく分かる。分かるだけに苦しい。なぜ分かるかって、今の外側の自分しか知らない人は信じられないかもしれないけど、自分がそうだったから。

私自身も保育園も幼稚園も好きじゃなかった。好きじゃなかっただけにほとんど記憶にないし、記憶に残っているのも嫌なシーンばかりだ。

幼稚園バスで、他の子達がわいわい話をしている中、一人窓の外を眺めている場面や、楽しそうに遊んでいる子供たちを遠くに見ながら、おやつかなにかで配られる薄いオレンジジュースだけを楽しみに立ち尽くす場面、園外保育で行った公園で女の子達にからかわれている場面。

実は私は3歳か4歳くらいのときにアメリカに一年行っていて、帰ってきたら日本語はきれいさっぱり忘れていて、父とも会話ができないくらいだった。それもあって保育園ではうまくいかなかったのかもしれないと思っていた。(ちなみにその反動か、数年後にはきれいさっぱり英語は忘れて、中学から勉強し直した)

でも長男をみていると、やっぱりそういう性格だったのかな、と思う。「だった」というか本当は今もそうなんだと思う。大学生のときにそれを克服しようとスポーツクラブでバイトしたこともあった。スポーツクラブって実はお客様との会話が仕事の中の大きな部分をしめている。

その後、仕事で強制的に大勢の人の前に、しかも怒っている大勢の人の前に立つという場面が年30回以上数年経験したら、人前にでてこわい、ということはほぼなくなった。

話がそれてしまったけど、友達が少しずつできてきて一緒にいるのが楽しい、と感じ始めたのは小学校に入ってからだったような気がする。

その転機は、運動だ。私は鉄棒や体操、かけっこなど運動が得意だった。小学生のころって運動ができる子はなぜか人気になる。私は人付き合いがあまり得意ではなかったので、人気、とまではいかなかったけど、自分から近づかなくても、向こうから近づいてくれるようになった。

これは大きかった。たぶんそこで初めて友達といると楽しい、ということを知った。そうでなければ自分から話しかけたり友達になったりすることはできなかったんじゃないかと思う。

だから今でも、なかなか積極的になれない子や、引っ込み思案な人は好きだ。自分自身をみているようで応援したくなる。

バス停で、家での顔

長男にもなにかきっかけになれるものをつくってあげたい。まずは、単純だけど、小学校に入るまでに運動を得意にしてあげたいな。これはきっと、ある程度は努力でできることだから。努力といっても親の努力だよね。今はあまりにも時間がなさすぎて外で一緒に遊んであげられる時間がない。これじゃあ運動ができるようになんてならないかも。少しずつでも無理やりでも時間をつくって子供たちの将来のために時間を割きたいと思う。

長女も友達関係でいろいろ悩むこともあるようだ。女の子でもスポーツができたり、勉強ができたりする子は人気があった。もちろんそのためだけ、というわけではないけど、自信を持つための補強材料にするためにも、運動したり、一緒に勉強したり、そういう時間をつくりたいな。

自分に対する自己評価が高い、というのはとっても重要なことだと思う。根拠のない自信でいいと思う。でも根拠があればより楽に自信をもてると思うから、そのための機会は用意してあげたい。

無理はしなくてもいい。別に一人でいたっていいんだ。自分が楽しいと思うことをすればいい。正しいと思うことをすればいい。本当に友達が欲しいと思ったときには、きっといつでもつくれるよ。もし、どうしても寂しいと思ったときには、私はいつも君の味方だということを思い出して欲しい。