無意識のうちに伝えているメッセージ・・意図しないメッセージ

子供がどこかをぶつけて「いたい、いたい」と泣いているときに、「大丈夫、痛くないよ」と慰めたことはありませんか?それがいい時もあれば、悪い時もある気がします。

長女に伝えていたメッセージ

この間、長女が転んで口をぶつけ怪我をしたときに、私は「大丈夫、大丈夫」と慰めました。それは痛いと思えばきっともっと痛く感じてしまうだろうという思いがあったからです。

その時にふと、長女は私の「大丈夫、大丈夫」という言葉を聞いて、どう感じているのだろうと考えました。私が「大丈夫」と言うと、さらに大きな声で泣きながら「いたいよ~」とうったえます。もしかしたら長女は「パパはなんで分かってくれないんだ。大丈夫じゃない、痛いんだ」って言いたかったのかもしれません。そして、「パパは私の言うことを信じていない、心配してくれていない」と感じたかもしれません。

もちろん、私はすごく心配していたし、あぁ痛いだろうなと思っていたのですが、おそらく長女に伝えていたメッセージはそうではなかったのだと思います。

私は、できる限り子供たちが言ったことについては、自分の言葉でもう一度繰り返して、「言ったことは理解しているよ」というメッセージを送るように心がけています。「まだねんねしたくない」という長女を説得するときも、まずは「そっか、まだねんねしたくないんだ」と言ってからどうすれば気持が変わるかなと考えて話をするようにしています。

それでも、さっきの例のように、無意識のうちに自分の意図したものとは違うメッセージを子供たちに送ってしまっているのだと思います。

そして、子供たちはそれを敏感に感じ取って、すぐさま反応します。

無意識に伝えているメッセージ

でも、ちょっと考えてみたら、実はこの無意識に伝えてしまっているメッセージって、子供たちに対してだけじゃないなと思いました。子供は素直に反応してくれるからわかりやすくて、反省もできます。でも、大人は・・・素直には反応してくれません。感じたメッセージは心の中にしまってしまいます。

友達や同僚、兄弟、親、妻に対しても、自分が意図しているのとは違うメッセージを、きっと想像を絶するほど大量に伝えてしまっているんだろうな、とふと思いました。

もちろん、メッセージを受け取るのは相手で、それをどう受け取るかは相手次第なのですが、自分がコントロールできることについては、もう少し注意していきたいなと思いました。そして、それを受け取った相手がどのように感じているのかを想像して、もっと敏感に感じ取れるようになりたいと思いました。

長男が歩いた(1歩)

初めの一歩

19日で長男は11ヶ月になった。

そして、その日初めて自分で一歩あるいた。床に置いてあるテーブルから、私の方に飛びかかるようにではあったけど、確実に一歩を踏み出した。

それからは間隔をつかんだのか、時々同じようにしてトライしようとしている。

まだまだだけど、今日は二歩あるいた。

長女のときは、10か月の終りのころに、数歩歩けるようになった。その後一歳になるころにはもうしっかり歩いていたから、長男も一歳になるころにはしっかり歩くかもしれない。

できたら、お餅をかついで歩いてほしいな。

他にも成長

長男は他にも、「まま」は、ほんとに時々だけど言うようになったし、いやだいやだという首を横に何度もふって遊ぶようになった。それを見て長女も大喜びして一緒になって遊んでいる。
また、手を差し出して、おいでおいでのようにするようにもなった。そういうときは抱っこして欲しい時がほとんどだ。
ばいばいも同じポーズ。

少しづつだけど確実に成長している。ここからが速いんだよね。一つ一つをしっかり見たいな。

見守るということ・・・生みの苦しみ


たまたま、ずっと前に買った本「加速学習法」を手にとって、なんとなくもう一度読み直していたらちょっと気になった逸話があった。

 ひとりの少女が父親と農場を訪れました。親鳥が温めていた卵の、1個だけを残してすべての卵から雛がかえりました。

 少女は、「私が助けてあげるわ」と言って、やさしく卵を割って殻を開けました。その夜、アヒルの雛は死んでしまいました。生まれるために苦しむことは、欠かすことのできない創造のプロセスです。努力抜きには事は運ばないのです。

長女と長男 子どもといると、なんだかもどかしくて手をかしてあげたくなることが多々ある。がんばっているのがよく分かって、苦しんでいる時には特にそう思う。くつを一生懸命はこうとしているときや、パンツを自分ではこうとしているとき、パズルを完成させようとしているとき、ふと手をかしてあげたくなる。

冷静に考えれば、今は手をかすべきじゃない、自分で頑張らせてあげようと分かるのだけど、実際にはついつい「こっちじゃない」と声をかけたくなる。

そんなときにはこの逸話を思い出して、見守ってあげようと思う。自分で卵を割ってでてきたときでないと、本当には自分の力、自信にはならないのかもしれない。前にこのブログで書いたかもしれないけど、私たちの最大の目標は子供たちが「自分に自信のある子供」に育ってくれることだ。せっかくの機会を、見守るつらさから逃げるために無駄にしてしまわないようにしたい。

要領よくいきる

長女と長男私は「要領がいい」ということを「物事の本質をすばやくつかみ、それを中心に付随する情報をとらえ、考え、理解する能力」だと思う。(と言葉にしてはみたものの、微妙に頭の中にあるイメージとは異なっているので、またよりよい表現が見つかったらアップデートしたい。)

goo辞書で調べると

要領がいい
(1)物事をうまく処理する方法を心得ている。手際がいい。
(2)巧みに立ち回るすべを心得ている。
とある。

ここで言っているのは(1)の意味に近いかもしれない。

要領よくいきるということは重要な能力の一つだと思う。生きていく上で要領がいいのと悪いのとでは大きな違いがでると思う。

勉強をするにしても、この能力があると覚えもはやいし、そこから発展した考え方もできるようになる。人間関係でも、どこに問題があるのか、何が問題なのかを素早く把握し、その影響をトータルのイメージとしてとらえることができる。仕事でも、枝葉にとらわれずに常に本質を頭にいれて考えることができる。

子供達には、ぜひこの能力を身につけてほしいと思う。そのための教育をしていきたいと思った。